2011年04月03日
pillowsのlittle bustersを聴いていたらテンションが上がってきた。
今日こそはと思って読み進めてた痴人の愛がまだ百ページ近く残ってる。
それでも、今度投げ出したらまた本棚に未読の小説が増えてしまうので読まなきゃ。
なぜ趣味の範疇で強迫観念に囚われねばいかんのか。
なんだか気分が憂鬱だったので、半日ずっと寝ていた。
どうしてかを考えてみたら、多分予定が決まってきたからだと思う。
面倒であれやらねば。
何度か起きたたびに変な夢をみた気がするけど思い出せない。
すごく変な夢だったことは覚えてるんだけど、内容がちらりとも思い出せない。
まぁ夢なんてそんなものかもしれない。
応援メッセージだのなんだのを見てると気が滅入ってくる。
ガソリンを求めて列をなしている車の運転手が「大変でしょうけど頑張ってください」なんて言われたら自分のやってることが情けなくなってきそうなものだけれど、まぁ食べ物を買い溜めてレトルト食品を消化してる奴が言うことでもない。
「僕にはよくわかりませんけど、たとえば、モオツァルトの音楽みたいに、軽快で、そして美しく澄んでいる芸術を僕たちは、いま、求めているんです。へんに大袈裟な身振りのものや、深刻めかしたものは、もう古くて、わかり切っているのです。焼跡の隅のわずかな青草でも美しく歌ってくれる詩人がいないものでしょうか。現実から逃げようとしているのではありません。苦しさは、もうわかり切っているのです。僕たちはもう、なんでも平気でやるつもりです。逃げやしません。命をおあずけ申しているのです。身軽なものです。そんな僕たちの気持にぴったり逢うような、素早く走る清流のタッチを持った芸術だけが、いま、ほんもののような気がするのです。いのちも要らず、名も要らずというやつです。そうでなければ、この難局を乗り切る事が絶対に出来ないと思います。空飛ぶ鳥を見よ、です。主義なんて問題じゃないんです。そんなものでごまかそうたって、駄目です。タッチだけで、そのひとの純粋度がわかります。問題は、タッチです。音律です。それが気高く澄んでいないのは、みんな、にせものなんです。」
なんだったかなと思って確認してみたら、パンドラの匣だった。
なんだかんだで読んでよかったと思える本だった。
今日こそはと思って読み進めてた痴人の愛がまだ百ページ近く残ってる。
それでも、今度投げ出したらまた本棚に未読の小説が増えてしまうので読まなきゃ。
なぜ趣味の範疇で強迫観念に囚われねばいかんのか。
なんだか気分が憂鬱だったので、半日ずっと寝ていた。
どうしてかを考えてみたら、多分予定が決まってきたからだと思う。
面倒であれやらねば。
何度か起きたたびに変な夢をみた気がするけど思い出せない。
すごく変な夢だったことは覚えてるんだけど、内容がちらりとも思い出せない。
まぁ夢なんてそんなものかもしれない。
応援メッセージだのなんだのを見てると気が滅入ってくる。
ガソリンを求めて列をなしている車の運転手が「大変でしょうけど頑張ってください」なんて言われたら自分のやってることが情けなくなってきそうなものだけれど、まぁ食べ物を買い溜めてレトルト食品を消化してる奴が言うことでもない。
「僕にはよくわかりませんけど、たとえば、モオツァルトの音楽みたいに、軽快で、そして美しく澄んでいる芸術を僕たちは、いま、求めているんです。へんに大袈裟な身振りのものや、深刻めかしたものは、もう古くて、わかり切っているのです。焼跡の隅のわずかな青草でも美しく歌ってくれる詩人がいないものでしょうか。現実から逃げようとしているのではありません。苦しさは、もうわかり切っているのです。僕たちはもう、なんでも平気でやるつもりです。逃げやしません。命をおあずけ申しているのです。身軽なものです。そんな僕たちの気持にぴったり逢うような、素早く走る清流のタッチを持った芸術だけが、いま、ほんもののような気がするのです。いのちも要らず、名も要らずというやつです。そうでなければ、この難局を乗り切る事が絶対に出来ないと思います。空飛ぶ鳥を見よ、です。主義なんて問題じゃないんです。そんなものでごまかそうたって、駄目です。タッチだけで、そのひとの純粋度がわかります。問題は、タッチです。音律です。それが気高く澄んでいないのは、みんな、にせものなんです。」
なんだったかなと思って確認してみたら、パンドラの匣だった。
なんだかんだで読んでよかったと思える本だった。
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